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集中を邪魔するもの
そこで私たちは相手の話しを真剣に、心からの興味をもって聞くということを邪魔するものについても知っておかなければなりません。
ここにカウンセリングの創始者であるカール・R・ロジャーズの論文の記述を引用します。
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私たちが他人の言葉を聞いたときの最初の反応は、たいていの場合、最初は、それを理解することよりも、すぐに評価したり、判断を下したりするものである。
誰かが、その感情、態度、信念を述べると、たちまち、「それは正しい」「それは馬鹿らしい」「それは異常だ」「それはおかしい」「そいつは不正確だ」「それは良いことではない」などと私たちは反応する傾向がある。
彼の言葉が彼自身にどんな意味があるのかを正確に理解しようと自分に許すことはほとんどない。』
~ロジャーズ選集(上)「私を語る」より抜粋~
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ロジャーズがこれを発表したのは1961年のことですが、現代の社会でもこうした問題は常に起きています。
例えば、初対面の人に対して、最初に我々が素朴に思うことは「この人はどんな人なのだろう?」ということだと思います。
しかしこの「どんな人なのだろう」は、純粋に相手を理解したいという気持ちから、次第に相手を評価するための自らへの問いかけに変わってしまうのではないでしょうか。
つまり、「どんな人なのだろう」が「どんな考え方をしていて、どんなことが好きで(嫌いで)、どんなことが得意(苦手)で、どんな価値観をもっていて、どんな思想や人間観をもっていて、物事をどのように捉える傾向があるのだろう。」
そして「どんなことを今伝えたくて、この話をしているのだろう。どんな気持ちを伝えたくてこの言葉(表現)を選んだのだろう」ということではなくなってしまう。
いつしかロジャーズの言うように「それは正しい」「それは馬鹿らしい」「それは異常だ」「それはおかしい」「そいつは不正確だ」「それは良いことではない」という評価・批評という聞き方に変わっているということが、日常の会話や人間関係の中では往々にして起きていることなのではないでしょうか。
相手の気持ちを察するとか、相手の気持ちを理解するということが、自分が嫌われないために相手の気持ちを「こう思っていたらどうしよう」「こう思っているに違いない」と断定していくことではなく、本当に相手を理解したいという気持ちからのものであれば、そうした評価的な聞き方にはならないはずです。
相手を「自分に脅威を与える存在かどうか」からしか見ることができなかったり、何らかの理由で自分の気持ちを相手と共有したくないと思っていたりするならば、相手を理解するという立場を充分にとることはできなくなるでしょう。
相手の話しを理解しようとすること。
相手の話や相手自身に心からの興味・関心をもって話を聞いたり接したりしていこうとすることがより良い人間関係を築く重要な要件だとするならば、そうした評価的な思いは邪念だということになります。
どうして評価的な聞き方に陥るのか
ではなぜ私たちは相手の話しを聞く時に、ついつい評価的な聞き方に陥ってしまうのでしょうか。
そこで再びロジャーズに登場してもらいます。
ロジャーズの先ほどの言葉の中で、皆さんは気になる表現があるとは思いませんでしたか?(これも聞き方・読み方の学習のうちです)
どの部分のことを言っているのかというと「彼の言葉が彼自身にどんな意味があるのかを正確に理解しようと自分に許すことはほとんどない」の「許す」です。
なぜここでロジャーズは「自分に課す」とか「試みる」「挑戦する」といったような表現ではなく、敢えて「許す」というふうに記述したのでしょうか。
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