間が空くと嫌だ?沈黙が怖い?
一般的にいって会話の中で、何気ない「間」が生まれる時があると思います。
そんな時、だいたいの人はそういう「間」が生まれたり、「間」が空くことを嫌ったりします。
そしてその時にどうするかというと、これまた大抵の人が「何か間を埋めなければ」と思います。
話の脈絡や、これまでの話の流れとは必ずしも関係のないようなことであっても、とにかく「何か話さなければ」となります。
そして、途切れる前の話の流れと関係のないことや脈絡のないことを話し始めたり、唐突に相手に質問をしたりして会話を続けようとします。
それで会話がさして問題なく続いたり成り立ったり、お互いの関係にそれほど影響もなく済むのであれば、そこで「間」が空くことを嫌がるということは、その当人同士にとってはそれほどの問題にはならないでしょう。
しかし、この「間」が空くということがとにかく嫌で・・という人にしてみれば、あるいは「間」や「沈黙」が会話に生まれることが怖くて、それでなかなか人と気さくに会話が出来ないという人にとっては、「間」や「沈黙」を嫌がるということはなかなか厄介な問題になってきます。
私も人間関係やコミュニケーションの問題で来談されるクライエントの方々とのカウンセリングの中で、この「間」や「沈黙」が怖いと訴える方は少なくないのです。
中には「間や沈黙が空くと、相手は自分のことが嫌いだから、話したくないから、あるいは自分の話がつまらないから(自分がつまらない人間だから)だから間が出来たり、黙ってしまったりするんじゃないかと思ってしまうんです。そう思うとたまらなくなります」と訴えておられた方もいて(これは一人や二人ではありません)、こうなると当人にとってはかなり深刻な問題になってきます。
沈黙イコール気まずさ?
確かに一般的にいっても、人との会話の中で「間」や「沈黙」が生まれるというのは、できれば避けたいと思うのが会話をしている人間の心情というものです。
「間」や「沈黙」というのは、「言葉に窮した時」や「話したくないという拒絶の気持ち」から起こるという場合もあるわけで、そうした心理状態に直結するものだという捉え方をすれば、「間」や「沈黙」を嫌がるのはある意味で自然な気持ちかもしれません。
また、さして親しくもない相手や初対面の相手と話す時には、いつも親しく会話している相手に比べれば話題に欠くこともあり、それで生まれる「間」や「沈黙」というのは、やはりあまりいい雰囲気や空気には感じられないでしょう。
俗にいう「気まずい雰囲気になる」というものです。
しかしながら、「間」や「沈黙」というものには、実はもっといろいろな種類があるものなのです。
言い換えるならば、単に言葉に窮したり、話したくないという拒絶の気持ちから起こったり、選択されたりするものばかりではないし、あまり親しくないから起こるというものばかりでもないということです。
~以上、次回のコラムに続く~
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