カウンセリングと人間性
カウンセリングという形で様々なクライエントの方々にお会いしてきていつも思うことは、カウンセリングとはまさに人間関係そのものなのだということです。
こうして書くと当たり前のことを言っているに過ぎないと思うのですが、やはりカウンセリングは人間関係なのだということを私は毎回実感するに至るのです。
カウンセリングをしっかりと行っていくためには、たくさんのことを学び、それらを実践で活用できなければなりません。
それは応答の技法であったり、ケースを見る力であったり、その時々の微妙な心の動きに対する敏感性であったりと、あげればきりがないほどです。
しかし、最終的にカウンセリングやセラピーという人間関係に最も大きな影響を与えるのは、そのカウンセラー(セラピスト)のもつ人間性であり、そのことを抜きにしてはやはりカウンセリングは語れないだろうと最近強く思うのです。
日常の人間関係においても、同じことがいえると思います。いろいろな人と付き合っていても、何ともいえない雰囲気を醸し出している人というのが中にはいるものです。
のんびりゆとりがある人、温かい雰囲気のある人、しっかりとした頼りがいのある感じのする人などさまざまいると思います。
そしてカウンセリングに関していえば、カウンセラーからゆとりがあり、暖かい雰囲気や頼りがいのある感じが伝わってくると、クライエントの緊張や不安も和らぎ、落ち着きを取り戻せるのではないでしょうか。
そこで最大の問題というか課題となることは、つまりは私たちが考えなければならないことは、そうした人間性、かもし出されるものとか、漂ってくるものというのは、いったいどのようにして形成していけば良いのかということです。
カウンセリングでも、普段の人間関係でも、相手に伝わるものというのは根本的なものであるといえると思います。
その根本的なものは伝えるものではなく、伝わるものです。
伝わるもの、別な言い方をすれば伝わってしまうものなのですから、この伝わってしまうものを私たちは何とか相手の援助になるようにとか、心の交流をするのに役立つものにしたいと考えた場合、それをどうやって作り上げていくかということがとても大きな問題になってきます。
つまりは人間性とか感受性といわれるものであり、そのような人間性や感受性を私たちの中で作り上げていく、磨いていくためには、いったいなにをすれば良いのでしょうか。
方法論としてはいろいろなものがあげられると思います。
しかし、それも結局は方法論であって、つまるところ私としての結論は、日頃の生活の中での意識や訓練の積み重ねでしかないのではないかということです。
日々の生活の中で、私たちは様々な刺激を受けています。
それは身の回りに起こる出来事であったり、ある人間の言動であったりするわけですが、そうした刺激を自分がどのように受け止めて、その刺激に対し自分がどう反応しているかというところを正確に振り返ることで、自分がどういう価値観や思想で動いているのか、動かされているのかということに気づいていく、知るというところからがスタートではないかと思っています。
これを成就させていくためには、かなり厳しく自分を見つめていかないと難しいかもしれません。
時には誰かのフィードバックを得る機会をもたなければならないかも知れません。
自分は意識しているにせよ、無意識であるにせよ、どのような価値観・思想をもっていて、それに付随してどういう言動を選択しているのか。
こうしたことを正確に知ることによって、次に自分の価値観や思想を新たに築きあげていくことができるのだと思います。
例えば目の前の相手が愚痴ばかりこぼしているとします。
そうした相手の話を自分はどんな姿勢・気持ちで聞いているか。その話をどう受け止め、どう理解し、それに対してどう応じたくなっているのか。
こうしたことを一つ一つ自覚していくことが肝要です。
愚痴ばかり、弱気なことばかり言っている。
そういう相手に自分がどんな思いになっているのか。
例えば自分は相手の話を聞いて行くうちに、なんだか段々イライラしきている。
もしそうであるならば、その時それはその人の価値観から起こる反応であるといえるわけです。
弱音や愚痴ばかり言う人は弱い人、社会では生きていけない人である。
これだけの価値観しかもっていなければ、愚痴や弱音にはただただイライラしてしまうことでしょう。
しかし、その他に、弱音や愚痴を言わないではいられない心理というものが人間にはあるという価値観があれば、その聞き方にもそうした価値観が反映してくるでしょうし、かなり難しい問題のようだから、そうした問題にはあわてずじっくり取り組んでいけばいいという考え方があれば、相手の話はもっと落ち着いて聞けるかも知れません。
さらに、聞き手側が、愚痴や弱音を言っているこの人もきっといずれ立ち直っていく、しっかりとした足取りで問題にぶつかっていくだろうという、人間とはそういうものなのだという価値観や思想を確信として根底にもっているならば、その話の聞き方にもそれが反映されてくるでしょう。
そして話し手にしてみれば、そうした価値観や思想というものが、何らかの形で聞き手から醸し出されたり漂ってきたりするものとして感じられます。
ここで大切なことを述べておきたいのですが、そうした価値観や思想というものは確かに生まれ育った環境によって形成される側面は大きいのですが、それは一旦形成されるともう二度と変えられないものなのかということ、そんなことはないということです。
人間は親元を離れても様々な人間や社会から影響を受けて生活していくわけですから、自分の中にある価値観や思想を自分の目指す方向に変容していくということは十分に可能なのです。
そうでなければ、世の中にある様々な学習の機会というものは、いったい何なのかということになってしまいます。
カウンセリングにしても同様のことがいえます。
カウンセリングの目標というのは、一人の人間が自分らしさと社会的適応とを上手く統合しながら充実した社会生活、人生を生きていくために、自分の中にある価値観や思想、それに伴う言動を変容していくことです。
カール・R・ロジャーズはこのように生きている人間のことを「十分に機能する人間」と表現しています。
このように人間関係にとって非常に大きな影響を及ぼすと考えられる人間の価値観や思想というもの、そこから漂ってくるものについて、これを自覚し、磨いていくという営みは、その人の人間関係や人生にとって大変貴重な試みではないかと思います。
その一助として人々はカウンセリングを受けたり、あるいはカウンセリングを学習したりするのではないかと私は考えています。
人間は本来向上していきたい、成長したい、豊かな社会生活を送りたい、より良い人間関係を築き、その輪を拡げていきたいという欲求を、基本的に根底にもっているものではないかと思います。
だからこそ私たちは日々の様々な問題に悩み、どうにか解決できないかと知恵を絞ろうとするのだと思います。
そうしてみると、私達のそうした欲求に素直に従うのならば、我々の人間性を磨くためには、日頃の意識的な心がけや訓練がどうしても必要になってくるのではないかと思うのです。
自分自身の心の状態を整える。やや科学的にいうならば脳の状態を良好に保つ。そうした基盤を整備し、そこから自分が経験する様々な出来事に対して、自分の受け止め方やそれらに対する反応を充分に吟味し、試行錯誤していくことの連続によって、つまりは長い時間の積み重ねによって、人間性というものは変化していくものなのでしょう。
自分が目の前のことにどういう姿勢と気持ちで臨むのか。
この連続によってその人の人間性、つまり価値観や思想に変化が出てくるはずですし、そこから自分を磨いていくしかないのではないかと私は考えています。
単純にいえば、前向きな人間になりたいというのなら、前向きな人間に自分はなれるのだということをいつも信じて行動することによって、その行動によって自分の価値観や思想が影響され、変容してくるといえないでしょうか。
つまり、
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