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今回は、カウンセリングを学ぶことで、私たちにどんなメリットがあるかということを一緒に考えてみたいと思います。
私は自分の進むべき道の一つとしてカウンセラーという仕事を30半ばにして選びました。この道を選択するにあたっては様々なことを考え、調べ、自分なりに納得をしてこの世界に入ってきました。
しかしながら、やはりどの世界でもそうだと思うのですが、実際にやってみなければわからないことというものはたくさんあるもので、それはこのカウンセリングという臨床の世界でも全く同じことでした。
私がこの世界で仕事し始めてから、つまりカウンセラーとして臨床活動に携わるようになってから痛感することがいくつかあります。
そのひとつは、人の心というものは本当にわからないのだということを臨床経験を積めば積むほどに思い知らされるということです。
以前ある臨床家が、心の専門家というのは、人の心というものはわからないものだということを誰よりもわかっている人間なのだと書いていたことがありましたが、それはまさにその通りだと思います。
この仕事は経験を積めば積むほどわからないことが次から次へと出てくるもので、それはあの河合隼雄氏も自身の著書の中でよくふれていることでした。
やればやるほどわからなくなる。
取り組めば取り組むほど難しくなる。感覚的に表現するならばそういう表現になろうかと思います。
そういう経験の連続の中で、私自身これまで何度も思ったことがあります。
それは「自分は心理療法の世界でやっていけるのだろうか。
心理臨床家として続けて取り組んでいけるのだろうか」という思いです。
必死に取り組めば取り組むほど、ますますわからなくなる。
答えが見つかりそうだと思った途端、それは自分の早がてんであったり、勘違いであったりする。
そういう現実に直面するたびに、自分はもうダメなのではないかという気さえしてくるのです。
しかしながら再び河合隼雄氏にご登場して頂くと、氏は著述の中でこのように書いています。
「長い間やっていると、自分の能力ではこの職業はやっていけないのではないかと思うことがよくあって、いろいろ悩んだりもしましたが、でも、結局は、自分にはこれ以上に職業は考えられないということで、今日もなお続けているわけですから、天職というのか、自分としてはやはりそこになんらかの必然性を感じざるをえないのです。」
私の場合、天職というか、必然性というほどのものまではまだ感じられないというか、そこまでの境地には至っていないわけですが、しかし「やっぱり自分にはこれしかない」という思いはわいてきます。
また、河合氏はこのような言葉を遺しています。
「自分はだめなんじゃないかという思いがしなくなったら、それは本当にだめになった証拠です」
この言葉、私だけでなく、皆さんも勇気づけられる言葉なのではないでしょうか。
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